庭はあざみの盛り。
花子の部屋の窓下に、小さなかたまりがある。
犬は来るなり匂いを嗅いだがくわえもしないで、ほかへいってしまった。
荷物を運びながら、よく見ると、鳥の仔が仰向けになって足をときどき動かしているのである。
巣から落ちたらしい。
羽はむしれて赤裸で、内臓まで薄く透き通って見える。
呼吸する度にバカに大きく内臓が動く。
眼はつぶっていて嘴も開かないが、苦しそうだ。
羽が折れて、折れ口には一寸血が付いていてアリがたかっている。
五十センチも離れたところに柔らかい羽毛がかたまって落ちていて、体はすっぽりと赤むけになっている。
浅い穴を掘って柔らかい葉を敷いて、その中にうつむけに移し入れてやると、体の割におおきな、成鳥のようなしっかりした足で夢中で歩こうとする。
背中の方も赤ムケ、頭にも毛がない。足も骨折をしているらしい。漿液のようなものが滲み出ている。
じいっと見てから土をかぶせて埋めて固く踏んでやった。
夜、持参のおにぎり、キャベツとピーマン炒め。
カニコロッケ二人前四百円、ビール二百円、松田の食堂にて。
冬の間の凍結で裂けたところに泥を入れて、管理所のブルドーザーが道をならしている。
(富士日記/武田百合子)
あるがままの難しさ
武田百合子さんは、作家武田泰淳さんの奥さんです。
そしてこの富士日記は、このご夫妻と娘さんが別荘で過ごした日々に綴られた日記です。
日記には、今日紹介したような日常が、永遠のように淡々と続いています。
単なる主婦の日記、でも、この深い魅力はどこから来るのだろう、と、しばらくはんすうしていました。
知性、すなおさ、懐の深さ…どれも違う、と考えていましたが、あるがまま、そう、あるがままだ、と気づき、書き進めることができました。
世界をそのまま飲み込んでいる人
この「富士日記」は日記です。
日記は今日起きたことを書くだけなのであるがままなのは当然、と思ったら、それは大きな間違いで、
日記はもっとクセの出やすい、私的な空間だからこその自己愛、自己憐憫、自己嫌悪が、どれだけ隠してもにじみ出るものです。
でも、武田百合子さんは本当にあるがままものごとを見ている。起こったことをそのまま飲み込んでいる。
スルーしているのでもなく、かといって小賢しい解釈もしていない。
この文体に憧れたあまり、私もしばらく日記をつけた期間があります。
文体まで真似してみたりして。
もちろん撃沈しました。
この水の如しな文体は、何というか生き方から来ているものなんだろうと思います。
人生に対する姿勢が、自分とは違うひと。
くつろぐ大型犬のようなのびやかさ。
私にこの方の目はなくて、私に見える世間はもっと世知辛いものだけれど、この富士日記は、読んでいる間、武田さんの目で見た世界を見せてくれる「眼鏡」のような本だと思っています。



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