【品のいいおばあさんになりたい人へ】京都なまりの美しいこと

宮尾登美子
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「代々の宗匠さんにはそれぞれお好みのお道具がおして、書付けになってますのやけど、父さま好みでは私は夕顔彫の切合風炉が取分け好きや。

これを夕顔台子に飾って、夏の盛り、汗の一粒も見せんとお点前なさる父さまのお姿は今も目に浮かんできますえ。

白いものの上に黒い絽の十徳重ね、小さなお髷を結われて姿勢を正し、柄杓を扱うときなどのお品のよろしかったこと」

(松風の家)

理想のおばあさま

なんて美しい言葉かと思います。

おっとりした話し方まで伝わって伝わってきます。

これは、名家の歴史を孫らに繰り返し伝える鞆子おばあさんの言葉です。

この小説「松風の家」の始まりの方にある、品の良い問わずがたりに、高校生の頃の私は引き込まれてしまったのを覚えています。

こんなおばあさんになりたい。

おっとりと人柄よく、話し方だけではなく常の動作も万事鷹揚で孫子にマスコットのように愛されて…

若い私には、小説に書かれていないおばあさんのバックボーンまで、湧き出るようにイメージできたものでした。

魅力の幅広さ

41歳の今、久々にこの小説を読み返して、鞆子おばあさんに近づいたのは年齢ばかり、がさつな日常をかえって客観的にみつめる機会となってしまいました。

仕事盛り、子育て盛りの中年の今となっては、夢物語。

この文章を書いている間も、二人の子供たちから、絶えず話しかけられ、意識が本の内容とと現実を数秒ごとに行き来しています。

物語が儚ければその分だけ、現実の力強さを感じてもはや苦笑してしまいます。

年齢はおばあさんに確実に近づいているのに、もはやこのおばあさんになる私は永遠に存在しないことを、大人の私は知っています。

でも、夢うつつをまぜこぜにしていた若いころより、本は本、現実は現実とパキッと分けられている今のほうが、この物語を楽しめているようなのが我ながら不思議に思いました。

多分それは、文章の行間を読む力がついたからかもしれません。

この物語におっとりした人が何人か出くる一方で、テキパキと強い言い方でおっとり勢を負かしにかかるキャラクターがまた何人かいるのですが、大人になって読んでいる今、テキパキ側に共感する自分がいます。

それが、思いのほかうれしいというか、わかりますでしょうか、この気持ち。

「こちら側」も悪くないと、がさつさや気の強さもなかなか良いものだと、このおっとり鞆子おばあさんの言葉遣いから、図らずもそんな考えに至ったのでした。

やはり、素敵

話は散りましたが、この言葉、やはりすごく素敵です。

鞆子おばあさんが子供の頃に戻ってお父様を垣間見ている、懐かしさと寂しさと、素敵なお父様でしょう、と大人気なく孫らに自慢しています。

あまりにおっとりゆっくりはなすから、嫌味なく聴き惚れてしまう。

かっこいい、茶道の家元なのに武士のようなお父様の折り目正しさ。

自分の背筋もほんの少し伸びるというものです。


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宮尾登美子
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