今百円の金があれば、バスに乗ってとりあえず町までは出てゆかれる。
それから先、百円ぽっちで生きてゆけないとは判っていても、この家で苦しみながらしをまつよりはずっと潔い、と私は思った。途中雪道で血を吐いてしのうと、雑踏の中で飢えじにしようと、先のことは考えないほうがいい、この深いぬかるみのような家の中で夫と繰り返すいさかいを考えれば何でもできる、と私は思った。
(もう一つの出会い/宮尾登美子)
芯からの苦労、というよりも
宮尾登美子さんご自身は、結局のところものすごくぜいたく者なんだと思います。
きれいな服を着たい、
旅をしたい、
人に会いたい、
優しくされたい、
夫に愛されたい・・
この随筆では、理想と現実のギャップに苦しむ、若き日の宮尾さんを垣間見ました。
昭和の苦労というと、勝手なイメージですが食料不足などの人間の欲求の根底にある苦しみを想像してしまいますが、この随筆の中の宮尾さんは、なんというか芯からの苦労、というよりも、もっと現代のわれわれに身近な、今の時代に近い愚痴っぽさがあります。
仲の悪い夫婦ではあったようなのですが、はたからみれば単にそれだけ、よくあることとも言えます。
どちらかというと月並みと言っていい悩み。
住む家があって子供も居て、夫の実家は農家であったはずですが文脈からは核家族、夫の仕事は勤め人のようです。
そのような状況で、宮尾さんは思うに任せない人生に対し、生きるかしぬかというレベルで苦しんでいました。
それは、この一本の随筆が生まれるほどの悶えようでした。
鈍感寄りの私は、感受性の強いこの人の気持ちを理解しきれず、関心してしまうほどです。
序破急の「破」
でも宮尾さんのすごいところは、土壇場で起き上がるということ。
これ以上はもうだめだ、というところまで流れ着くと、そこから宮尾さんはやおら燃え滾ります。
この日宮尾さんは、100円を持って20円のバスに乗り、降りた先の喫茶店で50円のコーヒーを飲み、残りの30円で知人に電話をかけ、宿を得ます。
そしてそこから一人暮らしを始め、離婚に向けて動き始めるのです。
何年も何年もぐずぐずと流れに身を任せていたのに、いよいよ切羽詰まり切った瞬間、人生に対しおもむろに牙をむく。
これは、宮尾さんの小説のヒロインすべての根幹をなす性質です。
私は、この序破急の「破」の瞬間が本当に好きです。
暗く生気のないまなざしに、一点の光が差し込む瞬間。
生きるか死ぬかの分かれ目に立ち、でも宮尾さんのヒロインたちは生きる方の道を選びます。
初めて自分の足で立って、自分で決める瞬間です。
この随筆を読んで、宮尾小説のヒロインたちの源泉にたどり着いた思いがしました。



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