姉は昭和35年の暮れに雄鶏社を辞めた。
フリーになって大丈夫か?結婚は?仕事は?両親はもはやそんな心配をする必要はなかった。
「あの人」は病気にならない限り、大丈夫。安心して見ていられる。何も言わなくても、やりたいようにさせておけばいい。
姉には三十数年間の間にそう思わせてしまう「何か」があった。三十三、四歳の邦子には、いろんな出来事が起きていた。私の知らない世界を生きていた。姉はその中で決して逃げなかった。なにもかもありのままに受け止め、自分の周囲人を幸せにするため、自分に出来ることはなにか、その一点に心を傾けていたような気がする。(向田邦子の恋文)
両親からの尊敬
ここでいう「あのひと」という言葉には、尊敬の念が感じられます。
「あの子」ではなくて「あのひと」であることの深み。
向田家のすごいところは、お互いがお互いをきちんと尊敬し合っているところだとおもいます。
しかも、尊敬は親から子に対しても向けられているというところがすごい。
家族って生活感と甘えのある関係だから、尊敬という線でつながることが難しい距離感であると思います。
ましてや、未熟な子供時代を世話して、養う側だった親側が、子に対して尊敬という感情を抱くことは、並大抵の親子関係ならできないことです。
向田家には、親子関係という枠を超えた、高度に成熟した人間関係が築かれていたということではないかと思います。
才能を恥じている
向田邦子さん自身のエッセイでは、自分のことをおっちょこちょいで短気で…と努めて下げて書かれています。
「私はこんないい仕事をした。」「私はこんなに気がつく女」なんて文脈のものはひとつもない。
向田さんは、自分のことをそのように、取るに足らない人としてみてほしいと、心の底から願っていたように思えます。
でも、世の中には本質を掴めてしまう人たちがいて、向田さんの側には、妹の和子さんがいました。
和子さんが邦子さんを「分析」してしまったため、拙い読み手である私にも、和子さんの目を通して向田邦子さんの本質を知ることができてしまいました。
こんな風に、自分の知性を読み手に知られることは邦子さんの本意ではないのだろうけれど、和子さんの文章は、どちらかというと突然の飛行機事故で去ってしまった姉に対する、妹の「意趣返し」のようにも思えます。
だって、和子さんほどの分析力のある人が、姉の望みを察しないはずがないのだから。
手の内
向田さんはとにかく「手の内を見せない。」。
こういうと打算的、計算的に聞こえるけれど、もちろんそうではなく。
むしろ相手に合わせることに徹しているということです。
これはもう、義務感とか生い立ちなどではなく、性分、すなわち生まれ持った気質なんだろうなと感じます。
「こうするべきかな」と脳で考えるような時差がなく、すっと身体が反応してしまっている。
五感のすべてを使って相手の要望をさっと把握し、決して押しつけがましくなく、何でもないことのように素早く対応してしまう。
世話焼きが性分の人はたくさんいるだろうけれど、押し付けない姿勢は向田さんのやさしさなんだろうと思います。



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