実に私にとってキャンティは素晴らしい駆け込み寺的存在であった。
キャンティに行けばいつも楽しかったから。
いつもグルメと芸術とヨーロッパがあったから、いつも仲間がいたから。
私はオレンジ色のロータス・エランをぶっ飛ばして、人生は何も恐くなかったが、ふとよぎる虚しさと孤独は常に友だちだった。
(安井かずみのいた時代)
かげの部分
私はバブルに生きていないので、この時代の浮ついた空気を肌で感じたことがありません。
だけど、たくさんの友人とゲラゲラと陽気に過ごした夜中に、一人になったらふぅとため息をつくような、陰と陽というか、表と裏のあった時代であったとイメージしています。
それが良いとか悪いとか、簡単に評価するには単純すぎて、多面的で複雑で、発展途上の勢いのある世界。
このイメージは、その世界の空気を創り上げていたひとりである安井かずみさんの雰囲気とそのまま重なるものだと思います。
ロータス・エランという車
安井さんの、肉体は見栄と意気のかたまりで成っているのに、意外なほどにあっさりと「むなしさと孤独」を告白できてしまうところがすきです。
私は車に興味が薄いので、ロータス・エランという車がわからない。でも文脈から、それが外国製の高級車だということは当然、わかります。
この人は、この外国の車のような派手で豪華な肉体で、かわいらしく弱い自分の心を守っていたのかなと思います。
こういう、弱い部分をフィジカルでどうにかしている感じ。
こういう、ある種マッチョな生き様は、素直に素敵だと思います。
自分を大切にしすぎる生き方より、少し雑に扱うくらいの心の意気込みがすき。
そのくらいのざっくばらんさがないと、生産的な仕事はできないのかなと思います。
完全に安全な範囲内で成す仕事が、突き抜けたものにはなり得ないんだなと考えさせられます。
背中を押されて
自分に置き換えてみると、思い当たるところもあります。
私は趣味の範囲で、今まで本で気になった文章をそのまま手帳に書き留めて来ました。
けれど、こうやって自分の解釈にまで踏み込んで書いてみて、さらに人目に付くようにブログにアップしてみたら、手帳を一人で抱えていた頃より、ずっと思考が深まることに気付きました。
安井さん比べたら、あまりに拙い一歩です。
彼女のスピードがロータス・エランなら、私はアリの一歩といったレベル。
でも、安井さんの、今の私よりもずっと若い頃の安井さんの孤独に背中を押されて、今日のブログを書きました。



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